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伊香保温泉の歴史に迫る

伊香保温泉の歴史

群馬県にある伊香保温泉。群馬県の名湯の一つとして有名な温泉ですよね。
ですが、伊香保温泉の発祥や歴史となるとあまり知らない人も多いのではないでしょうか。
伊香保温泉の成り立ちを知ったうえで、観光するとより楽しめることができるはずです。
今回は、伊香保温泉がいつ発見されたのか、どうやって作られたのかを辿っていきましょう。

目次

いつ発見されたのか?

伊香保温泉がいつ発見されたかについては、主に2つの説が唱えられています。

1つ目は、火山活動により湧き出た湯が第11代天皇の垂仁天皇の時代に発見されたのが起源だという説です。
2つ目は、大仏建立に尽力し民を救ったとして有名な行基によって見つけられたという説です。

どちらの説が正しいにせよ、垂仁天皇は紀元前、行基は奈良時代の人なので伊香保温泉がどれだけ古くからある温泉なのかがわかると思います。

伊香保という名前の由来

伊香保という名前はどこから来ているんでしょうか。
アイヌ語にイカホップ(煮えたぎる湯)という単語がありますがそこから来ているのではないかという説があります。
アイヌ人はかつて日本列島に住んでいた縄文人の子孫とも言われているので、アイヌ語から転じたというのは考えられそうです。
また、イカヅチ(雷)とホ(火)が合わさったのではないかという説も。
雷は上州(群馬のこと)名物に挙げられており、「空っ風・雷・かかあ天下」のうちの1つです。

伊香保温泉の歴史

万葉集に登場

日本の歌集として名高い万葉集。
その万葉集に、伊香保温泉を詠んだ歌が9種あります。

伊香保ろに天雲い継ぎかぬまづく人とおたはふいざ寝しめとら
伊香保ろの沿ひの榛原ねもころに奥をなかねそまさかしよかば
伊香保ろのやさかのゐでに立つ虹の現はろまでもさ寝をさ寝てば
上つ毛野伊香保の沼に植ゑ小水葱かく恋ひむとや種求めけむ
伊香保せよ奈可中次下思ひどろくまこそしつと忘れせなふも
伊香保嶺に雷な鳴りそね我が上には故はなけども子らによりてぞ
伊香保風吹く日吹かぬ日ありと言へど我が恋のみし時なかりけり
上つ毛野伊香保の嶺ろに降ろ雪の行き過ぎかてぬ妹が家のあたり
伊香保ろの沿ひの榛原我が衣に着きよらしもよひたへと思へば

伊香保温泉に9か所、その歌を刻んだ石があるのでぜひ探してみましょう。

戦国時代には兵士の療養地として

伊香保温泉の象徴的な存在、石段。石段の周りには様々な屋台やお店が連なり石段街と呼ばれています。
実は、石段街の発祥は戦国時代にまで遡ります。
かつて伊香保一帯を治めていたのは戦国大名の武田氏でした。
武田氏が配下の木暮下総守祐利という人に、温泉街の建設を命じさせたのが石段街の由来だと言われています。
傾斜を通じて、源泉部から石段街にまで運ばれてくるというシステムです。
こうして石段街の温泉は、戦いで負傷した兵士の療養施設として機能しました。

江戸時代

江戸時代になると西国ではお遍路などの巡礼がブームになっていきます。
東国でもそのブームにあやかり、水沢寺や榛名(はるな)神社に多くの巡礼者が訪れるようになりました。
それと同時に、伊香保温泉も「子宝の湯」や「婦人の湯」との口コミが広がっていきました。
武士から町民、農民まで幅広い層の人々が湯治目的で伊香保温泉に訪れたようです。
伊香保関所はこうした背景から設置されました。
訪れた著名な文化人として、滝沢馬琴や十返舎一九らが挙げられます。

近代以降は要人のリゾート地として

伊香保温泉の源泉近くにはベルツ博士という方の銅像があるのをご存じでしょうか。

ベルツ博士と伊香保温泉には深い関係があります。
明治時代になると、富国強兵・文明開化のためにお雇い外国人が数多く海外から承知されました。
そして、その一人であるドイツ人医師・ベルツ博士によって伊香保温泉が高く評価されたのです。
ベルツ博士は自著「日本鉱泉論」で伊香保温泉の様々な病気に対する効能を詳しく述べています。
これをきっかけに伊香保御用邸が設置され、伊香保温泉は数々の政財界の要人を受け入れるようになったのです。

天皇や皇后をはじめとした皇族、海外の重要人物などらが避暑地として伊香保温泉で休暇を過ごしていきました。

歴史的著名人と伊香保温泉

また、かの有名な夏目漱石や与謝野晶子、徳冨蘆花といった文豪も伊香保温泉を訪れています。
特に与謝野晶子は「伊香保の街」という詩で伊香保温泉の情緒を詠っています。

「伊香保の街」  大正4年 与謝野晶子
榛名山の一角に、段また段を成して、
羅馬時代の野外劇場の如く、 
斜めに刻み附けられた 桟敷形の伊香保の街、
屋根の上に屋根、部屋の上に部屋、
すべてが温泉宿である、そして榛の若葉の光が
柔かい緑で 街全體を濡らしてゐる。 
街を縦に貫く本道は 雑多の店に縁どられて、
長い長い石の階段を作り、伊香保神社の前にまで、
Hの字を無数に積み上げて、
殊更に建築家と繪師とを喜ばせる。

この与謝野晶子の詩は、伊香保温泉の石段に刻まれているのでぜひ見つけてみてください。
徳富蘆花は、夫婦で訪れるほど大の伊香保温泉好きでした。
彼の名前を全国にとどろかせたベストセラー小説「不如帰(ほととぎす)」の序章は、伊香保温泉の旅館からスタートしています。
どれだけ伊香保温泉を愛していたかが伺えますね。

晩年の徳富蘆花は重病の療養のため伊香保温泉を訪れますが、その地で生涯を終えてしまいます。
伊香保にある徳冨蘆花記念文学館は彼が最期を過ごした旅館を移築した施設です。
彼の遺稿や遺品を鑑賞することはもちろん、美味しいコーヒーが飲めると評判です。

徳冨蘆花記念文学館

  • 住所:群馬県渋川市伊香保町大字伊香保614-8
  • 電話番号:0279-52-2102
  • 営業時間:8:30~17:00(7~9月は18:00まで、12~2月は16:00まで)
  • 定休日:12月25日~29日

湯の種類と歴史

伊香保温泉 湯

伊香保温泉には2種類の湯があり、黄金の湯(こがねのゆ)と、白銀の湯(しろがねのゆ)と呼ばれています。
かつては、黄金の湯1種類のみでしたが近年、白銀の湯が発見されたことで2種類になりました。

黄金の湯は、鉄分を多く含む硫酸塩泉で独特の色を放つことからその名前が付けられました。
血行促進に効果があると言われ、「子宝の湯」として数多くの女性が湯治に訪れました。傷などの治癒にも効果があると言われています。

白銀の湯は、平成に入ってから湧出が発見された単純泉です。
無色透明で、美肌や疲労回復に効果があると言われています。

伊香保温泉で温泉や旅館を選ぶ際は、「黄金の湯」なのか「白銀の湯」なのか調べてから入るのが良いでしょう。
もちろん、どちらも入れる旅館もあります。

まとめ

古代から多くの人々に愛されてきた伊香保温泉。湯の効能だけでなく、長い歴史に育まれてきたその景色や風情が人々の心を掴むのかもしれません。
伊香保温泉の歩んできた歴史を知ったうえで、訪れてみると新たな発見があるかもしれません。

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