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下呂温泉の歴史とは?

下呂温泉は岐阜県の飛騨川沿いにある温泉地です。
徳川家に仕えていた儒学者 林羅山により、有馬温泉や草津温泉に並ぶ「日本三名泉のひとつ」と称された現代でも有名な温泉地で、一度は聞いたことのある温泉地である下呂温泉を国内旅行の候補先に選ぶ人も多いのではないでしょうか?
この記事ではそんな下呂温泉の歴史について紹介します。
下呂温泉の歴史を知り、是非観光プラン作成の参考にしてください!

目次

下呂温泉の成り立ち

下呂温泉には薬師如来が傷ついた一羽の白鷺に姿を変え、飛騨川で傷を癒し、源泉のありかを村人に知らせたという伝説のある温泉地です。

下呂駅が昭和5年に開業し、その後もJR高山線の開通や国道41号の全線開通など交通の便もよくなり、「健康の湯」や「美人の湯」と呼ばれています。

この記事ではそんな下呂温泉の時代ごとの成り立ちを紹介します。

901~957年頃 温泉湧出

下呂温泉は、今から1,000年以上前の延喜年間から天暦年間頃に、現在の温泉地から4キロほど離れた場所にある「湯ヶ峰」の山頂付近に温泉が湧出したことが始まりとされています。

「湯ヶ峰」はおよそ10万年前に噴火した火山です。

温泉の始まりに関しては書物に記載があり、飛騨代官を勤めた長谷川忠崇が将軍吉宗の命によって完成させた「飛州志」には天暦年間と記載されており、「飛騨編年史要」には延喜年間と記載されているため、発見年代については書物によって記載がばらばらのようです。

温泉の出る場所が山から平地に移動したため、温泉の利用が大変便利になり、名泉の評判が各地に広がっていきました。

1265年 湯口が移動

1265年、文永(鎌倉時代ころ)に湯ヶ峰の山頂の湧出は止まってしまったそうです。

しかしながら、現在の下呂温泉の場所である飛騨川の河原から温泉の湧出が発見されました。

下呂温泉には開湯伝説があり、「薬師如来が一羽の白鷺に化身し、湧出地を知らせた」という伝説が伝わっています。

薬師如来は下呂温泉にある「温泉寺」に安置されています。

温泉の出る場所が山から平地に移動したため、温泉の利用が大変便利になり、名泉の評判が各地に広がっていきました。

現在も下呂温泉街の真ん中を流れる飛騨川の河川敷にある「噴泉池」は下呂温泉のシンボルとなっており、足湯を楽しむことが可能です。

安政の大洪水で湯脈が破壊

下呂温泉は飛騨川の氾濫によりたびたび被害を受けていましたが、安政の大洪水で湯脈が破壊されて湧出口を失ってしまいました。

その後、明治時代にわずかに温泉が出たものの、寂れてしまうという事件が発生しています。

大正時代~昭和初期 下呂温泉復興

地元住民が下呂温泉の復活を願い、大正時代からボーリング採掘を開始し、昭和初期には下呂駅開通を見込んで名古屋の事業家であった岩田武七が採掘事業に乗り出しました。

岩田武七は下呂温泉に現在も「登録有形文化財」として残る湯之島館を開業しています。

温泉保護のために昭和49年から温泉の集中管理を行い、現在55度の温泉を各旅館に配湯しています。

下呂温泉の歴史深い建物たち

旧大戸家住宅

旧大戸家住宅は国指定重要有形民俗文化財に指定されている建物です。

世界遺産の白川郷から移築されています。

棟札と呼ばれる棟上の際に建造された年月日や施主・大工などが書き、天井の棟木などに打ち付けられる札から、天保4年(1833年)〜弘化3年(1846年)にかけて建てられたことがわかっています。

白川郷から移築された理由としては、この建物が昭和36年に完成した御母衣ダムのダム湖が作られる場所に建っていたことから、そのままでは湖底に沈んでしまうため、文化財保護委員会の技術指導のもと昭和38年3月に下呂にある合掌村に移築したという経緯があるそうです。

現在、旧大戸家住宅のまわりには10棟の合掌造りの民家があります。

これらの民家は観光施設となっており、日本で唯一常設の影絵上演館である「しらさぎ座」や足湯を楽しむことができます。

銀花荘

銀花荘(旧千田家荻田邸)は、主屋、表蔵、北蔵の3ヶ所が国の登録有形文化財となっています。

銀花荘は益田郡(現下呂市)あたりで伝統的な建築家屋である益田造りとなっています。

銀花荘の名前である「銀花」とは、スイカズラ(吸い葛)というつる性植物です。

別名「忍冬」とも呼ばれており、春の終わりから夏(5月~7月)頃に甘い香りがする花を咲かせます。

香りが甘いだけではなく、細長い花筒の奥に蜜があり、古くは子供がその花の蜜を吸うことから名づけられているそうです。

内部は年に数回公開されていますので、公開のスケジュールを是非チェックして見学してみましょう。

白雲座

白雲座は部隊が国の有形民俗文化財になっています。

下呂市門和佐にある国指定重要文化財の芝居小屋です。

建築様式は、切妻造・妻入で、総檜造の劇場型芝居小屋です。

舞台には、全国でも非常に珍しい、直径が5.4メートルのコマ回し方式の「回り舞台」が設置されています。

白雲座は舞台内部に書かれた落書きから、明治23年(1890年)に舞台開きされたと言われています。

毎年11月2日と3日、保存会による「白雲座歌舞伎」が開催されていますので、タイミングを合わせて是非訪れることをお勧めします。

鳳凰座

鳳凰座は下呂市御厩野にあります。

鳳凰座の村芝居は江戸時代の台本とともに、岐阜県の有形民俗文化財に指定されています。

この歌舞伎は農山村の唯一の娯楽として親しまれてきました。

「御厩野の芝居」と呼ばれており、昭和36年(1961)に保存会が結成され、現在は毎年行われている下呂市御厩野の日枝神社・熊野神社の祭礼に素人歌舞伎の上演が行われています。

あの織田信長も湯治に訪れていた?! 下呂温泉にまつわる歴史上の人物

下呂温泉は江戸時代初期の儒学者である林羅山によって、有馬と草津と並ぶ「天下の三名泉」として有名になりました。

そんな下呂温泉には過去有名な戦国武将たちが湯治に訪れていたことが伝えられています。

織田信長

「羽渕家家系図」という系譜によれば、下呂温泉は歴史上有名な戦国武将である織田信長が訪れた温泉でもあります。

「羽渕家家系図」によると、織田信長は関市を通って飛騨まで湯治に行っていたことが分かります。

近年の研究で、この湯治先は下呂温泉であろうとされています。

織田信長は温泉の逸話が少なく、下呂温泉での湯治の逸話はとても貴重な例とされています。

この湯治には羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)や、前田利家などの家臣を何名か引き連れて行ったそうです。

織田信長のみならず、豊臣秀吉や前田利家などの有名な戦国武将が下呂温泉で湯治をしていたんですね。

武田信玄

下呂温泉は、武田信玄の父親である武田信虎の代から、武田家の隠し湯として利用されていたそうです。

上杉謙信との戦いの後、信玄や家臣達が下呂温泉で戦いの疲れをとったという逸話が残っています。

戦国時代、合戦でおった怪我や病気療養のために、戦国武将達は温泉を利用したと言われています。

まとめ

下呂温泉は有名な温泉地ですが、歴史を知るとよりいっそう魅力的に感じるかと思います。

下呂温泉に行く予定があれば、いつか織田信長や武田信玄がみた風景や下呂温泉のお湯を堪能したり、重要な文化財に指定されている施設や歌舞伎を楽しむのもおすすめです。

白川郷から移築した建物で風情を感じることもできますし、温泉の博物館で温泉の知識を身に着けることも可能です。

美味しい食べ物だけでなく、温泉地の歴史を知ることでより下呂温泉に親しみを持つことができそうですね。

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