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道後温泉の歴史とは?

道後温泉は、愛媛県に位置する日本最古の歴史的な温泉地です。有名な作品である「日本書紀」や「源氏物語」、「万葉集」などにも登場し、多くの文人を排出しました。四国旅行の人気スポットとして、子どもから大人まで幅広い年代に愛されています。今回の記事では、そんな道後温泉の歴史について、名前の由来や歴史的人物との関係までわかりやすく紹介します。ぜひ旅行へ行く前に読んで、より一層楽しい旅にしてください。

目次

日本最古の温泉

道後温泉は、日本最古の温泉だといわれており、日本三古湯のひとつです。3000年もの古い歴史を持つといわれており、縄文中期の土器が出土されたことがあります。万葉集や源氏物語、日本書紀にも登場することから、はるか昔から人々に親しまれていたことが分かります。聖徳太子や天智天皇、天武天皇、夏目漱石や正岡子規、高浜虚子などの有名人物も来たことがあり、歴史の深さを感じられます。

道後の由来

道後温泉の「道後」とは、どのような意味から名付けられたのでしょうか。
その歴史は、飛鳥時代にさかのぼります。中大兄皇子、藤原鎌足らが蘇我氏を倒した大化の改新(645年)が起きた後、各地には国府(行政府)が配置されました。愛媛地方(伊予の国)では、現在の今治市の付近に国府が配置されました。この国府地域を「道中」といい、「道中」を除いた都(京)に近いところを「道前」と呼びました。そして、都から遠い地域(今治よりも南の地域)を「道後」と呼ぶようになりました。
その後、温泉の地域を限定して「道後温泉」といわれるようになりました。

白鷺伝説

大昔の話。一羽の白鷺が脛に傷を負い、苦しんでいました。その白鷺がひょんなことから岩の間から流れるお湯(道後温泉)を発見し、毎日のように傷を負った足を温泉に浸し続けたところ、完全に治って元気になったそうです。この様子を見ていた人々は、不思議に思って自分たちも道後温泉に浸かってみることにしました。すると、道後温泉の気持ちよさと疲労回復効果、病気への効果を実感し、大変人気の温泉地となりました。
以上の言い伝えは「白鷺伝説」といわれ、道後温泉のシンボルが白鷺になった由来でもあります。白鷺が舞い降りたあとが残った石(鷺石)もあり、放生園という公園に保存されています。
道後温泉に限らず、温泉は白鷺との縁が深くあり、各地で温泉が発見されたストーリーに「白鷺」が登場します。

松平定行の温泉経営

寛永12年(1635年)に、御家門・久松松平家の松平定行が松山藩主に封ぜられました。久松松平家は徳川親藩のなかでも名門とされていましたが、四国の外様大名への牽制や警戒をするためでした。

松平定行は、その翌年に道後温泉の施設大改築に着手しました。浴槽を士族・僧侶用(一之湯)、婦人用(二之湯)、庶民男子用(三之湯)に分けて、他にも15銭湯、10銭湯、養生湯、その下流には馬湯を、庶民へ開放したと記録されています。馬や牛のような家畜が利用できる温泉は当時珍しく、道後温泉は「誰でも」入浴することができたのです。現在も観光客など「誰でも」利用できるのには、このときの歴史があったからだと言われています。

道後温泉は、江戸時代には湯治町として発展しました。四国のお遍路もが定着して、周辺の石手寺を訪れたお遍路さんが温泉に立ち寄ることが多く、お遍路さんの利用にであれば3日間は無料で泊まれるというサービスもあったそうです。

1639年には、松山城の大改築が行われました。なんと、増築ではなく減築をして五層の天守を三層に縮小化してしまいました。これは、伯父である家康への心遣いで、天守の高さ制限への配慮だったといわれています。また、天守が建っている場所の地盤が弱かったからとも言われています。

愛媛の歴史ある銘菓「タルト」も松平定行が考案したといわれています。通常のタルトとは違い、カステラ生地に餡を塗ってロール状に巻いて切り分けたものです。このタルトは愛媛ならではのお菓子ですよね。

愛媛、道後温泉に多大な影響を与え続けた定行は、藩を想う気持ちが人一倍強く、生涯をかけて藩主として働きかけました。自らが整えた松山(愛媛)が、現在も皆に愛される素晴らしい地となったことを、もしかしたら天国で喜んでいるかもしれませんね。

夏目漱石と道後温泉

夏目漱石は、明治時代の文豪として有名な人物です。その夏目漱石の代表作である「坊っちゃん」は、なんと道後温泉を舞台として描かれています。主人公の坊っちゃんは、愛媛県尋常中学校で英語教師として実際に働いていた夏目漱石自身の体験をもとに書かれています。生粋の江戸っ子であった坊っちゃんは、愛媛での生活になかなか馴染めませんでしたが、毎日のように温泉に通うほど道後温泉を好んでいたそうです。それほど道後温泉は魅力的だったのだといえます。「坊っちゃん」の中で、道後温泉は「住田の温泉」と表現されており、道後温泉本館のことをいいます。夏目漱石が通っていた当時、道後温泉本館は新築で築1年めだったそうです。静養のために愛媛へ帰省中だった正岡子規と同居し、一緒に道後温泉に出かけていたともいわれています。

道後温泉街には、「坊っちゃん広場」や「坊っちゃんからくり時計」、「坊っちゃん列車」など、夏目漱石の坊っちゃんに関する場所が至るところに設けられています。道後温泉本館3階にある「坊っちゃんの間」は、夏目漱石が愛した場所だそうで、自由に見学ができます。

道後温泉へ行く前に小説「坊っちゃん」を読んでおくと、旅をより一層楽しめるかもしれませんよ。

道後温泉本館改築

約3000年の歴史があるといわれている日本最古の道後温泉。道後温泉の公衆浴場として最も古いといわれている「道後温泉本館」は、明治時代に建てられた木造の建物で、国の重要文化財に指定されています。クラシカルで趣のある「道後温泉本館」は、ジブリ映画「千と千尋の神隠し」のモデルになったともいわれています。

そんな雰囲気ただよう歴史的建物の「道後温泉本館」ですが、2019年から2024年まで大改築のため工事を行っています。耐震への対応、屋根の葺き替え、部分修理、配管の更新などが主な工事内容とのこと。保存修理工事のため、部材ひとつひとつが文化財になり、可能な限り元あったものを再び使わなければならず、大変大掛かりな工事になります。6年という工期に、工事費用は26億円ほどかかるそうです。工事中でも営業はしているとのこと。

今回の本館工事にともない、道後温泉街では「本館以外の魅力」をつくることに注力してきました。道後温泉の主役である「道後温泉本館」が工事中であるいま、観光客を楽しませるための策を考える必要があったのです。「魅せる工事」にするためにプロジェクションマッピングや夜のライトアップを行ったり、現場見学会の実行するなど、工事自体を楽しんでもらう努力もしました。また、ほかの観光スポットとして飛鳥乃湯泉(あすかのゆ)や空の散歩道が造られたのも、そのためです。

工事が完了し、新しく生まれ変わった道後温泉本館に会えるのが待ち遠しいですね。

まとめ

歴史ある由緒正しき、道後温泉。長い歴史のなかで、変わらず人々に愛されてきたのには理由があります。温泉の素晴らしさだけでなく、歴史を感じられるスポットや、新しくできた観光地もあり、今後も変わらず愛される温泉地となるでしょう。道後温泉へ旅行へ行かれる方は、歴史を知った上で旅されるとひと味違った楽しみ方ができますよ。

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