MENU

有馬温泉の歴史とは?

温泉好きな人なら1度は行きたい有馬温泉。日本最古といわれている有馬温泉にはたくさんの歴史があります。
この記事では、日本三名泉にも選ばれる有馬温泉の歴史について紹介します!
有馬温泉の伝説や周辺情報についても合わせて徹底解説しますので、これから有馬温泉への旅行を検討している人は必見です。

目次

有馬温泉の歴史

最古の歴史書と言われる日本書紀にも記されている有馬温泉。

その歴史は600万年以上とも言われています。

度重なる自然災害や人為的災害にも負けず、日本が誇る名湯として今も多くの人から愛されているのです。

また、有馬温泉は豊臣秀吉が愛した温泉といわれています。

豊臣秀吉は1583年〜1594年までの11年間で、9度も有馬温泉へと訪れています。

天下統一を果たした後も、有馬の地で大茶会を開き温泉を楽しみました。

その後、1596年に有馬は大地震により壊滅的な被害を受けます。

それを聞いた豊臣秀吉はすぐに有馬温泉の復興を命じ、今の有馬温泉の基盤を作ったのです。

有馬温泉のある場所

有馬温泉は、兵庫県神戸市北区有馬町にある温泉地です。

群馬の草津温泉や岐阜の下呂温泉とともに、「三名泉」と呼ばれます。

神戸の中心地である三宮からは、電車で約40分。

アクセスが良く週末には多くの観光客で賑わいます。

また、周辺には六甲山があり豊かな自然を楽しむこともできます。

有馬温泉はいつからあるの?

有馬温泉の源泉を見つけたのは、はるか昔、神の時代、大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)という2人の神によって発見されました。

この二人の神様が人々を病から守るため旅をする中、傷ついた3羽のカラスが水浴びをして傷をいやしていたところを見て有馬の温泉を発見したといわれています。

有馬温泉街にあるねがいの庭には、このお話にちなんで3羽のカラスの銅像が飾られています。

そして、第34代舒明天皇と第36代孝徳天皇の両天皇が、足を運んだことから有馬温泉の名が一躍有名になりました。

有名になった有馬温泉は、奈良時代に書かれた日本書紀にもその名前が残されています。

なぜ有名?

長い歴史があることや、有馬温泉独自の「金泉」「銀泉」が湧くことなどが有馬温泉が有名な理由です。

特に「金泉」「銀泉」は有馬温泉にしか湧かない特別な源泉です。

「金泉」は鉄分を多く含み酸素に触れると、赤茶色く変化します。

また塩分濃度が高く、入ると浮遊感があることや塩辛いのが特徴です。

柔らかいお湯で、湯冷めしにくく冷え性や関節痛に効果的です。

「銀泉」は炭酸を含む温泉と、放射能泉の2つがあります。

どちらも無色透明でさらさらとした肌触りのお湯が特徴です。

炭酸泉は、日本初のサイダーである「ありまサイダー」が作られたことでも有名です。

飲むとしゅわしゅわとしてさっぱりとしたのど越しが特徴。

それぞれ有馬温泉でしか楽しむことの出来ない温泉がある事で、多くの人が集まります。

有馬温泉の伝説

古くから有馬温泉は度々地震によって、温泉の水脈が途絶えてしまっていました。

しかし、山崩れによって埋まってしまった水脈を奈良時代の僧である「行基」が薬師如来のお告げによって復興させたといわれています。

そして「行基」により広められた有馬温泉は、平安時代には多くの文人や天皇までもが訪れました。

その後も豊臣秀吉をはじめ多くの文人を魅了した有馬温泉。

有馬温泉は日本三大名泉に数えられるようになり、今へと至るといわれています。

H2有馬温泉の歴史に関する観光スポット

有馬温泉街には、有馬の歴史に関する観光スポットが多く存在しています。

その中でも有馬をとても愛していた、豊臣秀吉に関するものは有馬の中でも有名です。

太閤橋

太閤豊臣秀吉の名前にあやかり名前を付けられた太閤橋。

有馬を愛した豊臣秀吉は何度も有馬温泉を訪れ、有馬温泉が震災により壊滅的な被害にあった時にもその復興を誰よりも支援しました。

有馬温泉のメインゲートである太閤橋は、そんな豊臣秀吉にあやかって名前が付けられたのです。

平成13年にリニューアルされ、太古橋から太閤橋の名前に変わっています。

有馬駅を降りてすぐ、有馬温泉の玄関口に位置します。

橋の欄干には、豊臣家の家紋である「七五の桐」や、旗印の「千成瓢箪」が描かれています。

有馬温泉の玄関口でもある橋で、真っ赤な太閤橋は温泉地観光へのわくわく感をより高めてくれます。

週末は橋の下での催し物や、夜はライトアップもしており、有馬温泉に来たら行きたいオススメの観光スポットです。

春は桜、秋は紅葉と季節を楽しむことが出来るのもおすすめのポイント。

それぞれの季節に応じて表情を変える太閤橋。

どの季節に訪れてもとてもいい写真スポットです。

ねね橋

有馬温泉を気に入っていた、豊臣秀吉とその妻ねねにあやかって造られた橋。

豊臣秀吉に連れられ、湯治のため有馬温泉に訪れていました。

豊臣秀吉と同様に有馬温泉を気に入っていたねねは豊臣秀吉の死後も有馬の復興に協力的でした。

古来有馬には、林渓寺のはらみの梅を食べて金泉につかると子宝に恵まれるといわれていました。しかしねねは梅干しが嫌いで、このはらみの梅を最後まで食べなかったことから子供に恵まれなかったという言い伝えが今も残っています。

ねね橋のすぐそばには豊臣秀吉の正室である「ねね」の像があります。

そこから少し離れた湯けむり広場には、ねねの像と向かい合うように豊臣秀吉の像が立てられています。

また有馬川にかけられたねね橋は、こじんまりとしていますが有馬温泉街の中心地にあり写真撮影にぴったりのスポット。

真っ赤なねね橋は紅葉によく映え、秋には多くの人で賑わいます。

秋の紅葉だけではなく、春には桜や夏の新緑も楽しむことが出来ます。

季節によって全く違う雰囲気になるため、季節を変えてのリピーターも多いです。

  • URLをコピーしました!
目次